滋賀学区は、比叡山系と琵琶湖に挟まれ、古くから集落があった場所で、山間部に皇子山古墳など多くの古墳があり、渡来系の人々が住み着いた地域です。
西暦667年に、天智天皇が飛鳥からここに遷都を行い、近江朝廷となりましたが、壬申の乱で荒廃し、都は大和に移りました。その後、中世には滋賀(志賀)の庄といわれた荘園が置かれました。
明治に入り、関係村落が集合して滋賀村になりましたが、昭和7年(1,932年)に大津市に編入となりました。昭和49年の湖西線の開通以降人口が大幅に増加し、滋賀学区の一部は唐崎学区となりました。かつては旧村の集落と1戸建ちの閑静な住宅が拡がる地域でしたが、近年、高層マンションやアパートが増加し、都市化が進み、市内でも指折りの大規模学区となりました。
4人に1人が高齢者となる超少子高齢化社会に到達しました。そして、社会や家庭環境の著しい変化の中で、高齢者や子どもたちを巡る様々な問題が生じてきています。
こうした問題にあたっては、家族や行政だけでなく地域で取り組めることもあることから、滋賀学区社協では関係団体の協力を経て、「福祉のまちづくり懇話会」を設置し、様々な立場や年齢層の方を対象にアンケート調査を行い、住民参加のワークショップの開催などを行いながら、住民の方の想いを地域の福祉力アップにつなげる対策を10回に及ぶワーキング・チームの議論でまとめることが出来ました。
まとめられた「安心・はぐくみ・備え・つながり」の4つの目標にあるように、福祉の議論もやはり地域全体としての安全・安心のまちづくりの中でしか解決できえないとの思いを強くしたところです。
今後、計画の重点目標にある取り組みについては、自治連合会など地域の関係団体と協力して、行政や様々な事業者などとも連携しながら行っていくことになりますが、スローガンに掲げている「つながろう!支え合おう!みんなが主役の滋賀のまち」づくりのためには、地域の皆さんの参加が不可欠ですので、みなさまの一層のご協力をよろしくお願いいたします。